映画 アド・アストラ -Ad Astra- 感想!

孤独なる人

人間が選ぶ選択

 ということで「映画 アド・アストラ -Ad Astra-」である宇宙ものではあるけれども、冒険譚とかSF活劇とかではなくて地味目のこの先の未来にあり得るかもしれない話を映像化したかのような作品になっていると感じられるところではある。 月に基地があってそれこそ資源争いをしていた李、火星の宇宙基地があったりしてそう遠くない未来に現実的にあり得そうな物語が描かれていたように感じられるところだ。

 映像的なことを言えばそこまでド派手な宇宙が描かれるわけではなくあくまで現実のラインに沿った宇宙が描かれているように思う。だからこそこの作品はCGを必要最低限にしたつくりにしたといえるところでもあるのだろう。まあこの作品にとっての宇宙とはある種物語を表現するための舞台装置ともいえるところはあるかもしれない。

 知的生命体を探しに外宇宙まで旅立って消息を絶った父が生きていたことをそして地球に対しての何らかの意思を示したことを知った息子がその父の元まで会いに行くというのが基本骨子である。
 しかしながらそれはストーリーラインでしかなく本当のこの作品が示したところはそれこそ宇宙という孤独の中で人が最後に選ぶのは孤独なのかそれとも誰かとの繋がりなのかという人間における究極的な2択を描いていることをその選択を示したものであるということができると思う。

 父のもとに行くまでに特に父のとの繋がりも長年にわたって立たれているのに監視されたり、火星に行くまでに略奪者に襲われたり、宇宙の孤独な死を知ったり、火星から父のもとに行くまでにも仲間に裏切られたりたった一人で秘密裏に父のもとに行くことになったりと、人間同士の繋がりは本当に自分自身にとって必要なものなのかというところをこれでもかと示してくる。
 と同時に孤独で人間は耐えられるのかというところも強く描写していく。たった一人どんどん周りにいた人間たちが消えていくことになっていくことによってより自分自身の孤独感心の孤独感が膨張していくことを描写しているので繋がりを一気に求めたくなってくるところを出している。

 父は父で孤独であって、息子は息子で孤独であって、長い旅を終えてようやく再開した後にお互いに何を選ぶのか?どちらを選ぶのかそれこそが究極的な選択になっていたと感じられるところではある。

 結果的にそれぞれ別なところを選ぶのが人間らしさというか、人間の割り切れなさみたいな感じがしてくるところではあるんだよなぁ。父と息子の関係性も含めてなんというか親子出来なかった者同士が親子やるための儀式のようにも思えてくるところではあったりするのだけれども。

 事件を終わらせた後はあまり語られていないけれども結果的に英雄になったということでいいのだろうか?氾濫したようなことにはなったからある種隠ぺいという形でプラマイゼロにしているのかもしれないけれども。

 派手ではないからこそすべて親子関係再会に集約される作品だった。再会するまではプロローグで再会してからが本編、そのあとはエピローグな作品であると思えたところ。
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