映画 人間失格 太宰治と3人の女たち 感想!

どん底に落ちてもまだどん底はある


想像以上の人間失格

 太宰治の作品の一つである「人間失格」が誕生するまでの物語を太宰の女性関係を中心に描いた映画作品となっている。ほぼ治の晩年であるからして、有名エピソードの海で自殺未遂した話から斜陽の誕生あたりと人間失格誕生までを中心としてエピローグ的に太宰の最後の自殺が描かれている作品となっている。

 現実に起きた・語られている太宰治のエピソードを中心としつつそこにエッセンスを加えた作品となっているが、どの部分がどうなのかというところは置いておきたくなるレベルでのそういったフィクションとノンフィクション壁なんて微塵も感じさせない治の女性遍歴があれというか人間失格。

 そういったところ含めてのそれこそ太宰が一番人間失格じゃねーか!というところからこの作品の着想も始まっていそう。人間失格書いた作者が一番人間失格だったので祖行った人間失格の晩年を集めて映画化してみました!的な感じではあるところ。
 治主役ではあるけれどもどちらかといえば太宰を見つつ、からみつつの3人の女性たちが主役のとしての側面もある作品だったように思えてくるところではある。
 当時の価値観を出しつつも現代的な価値観と足した作品になっているように思える。下戸の場倍の現代的価値観のプラスは作中ではなくて作品を見ることによって見る側が勝手にプラスしていくというもの。それこそ散りばめられてはいるがそれを通して見る側がプラスしていくと。

 映像演出・色彩演出はダイナーの時よりは少なめだったように感じられるところだ。これは作品の方向性の違いによるところが大きいだろと思えるけれども。そういえばダイナーとこの作品合わせて中の人がラストシーンで2作品とも川に入水して死んでいるという偶然は一体?

 太宰治という人の女性遍歴を見ていく作品であることは間違いない。なぜ治に女性たちが惹かれていったのかというよりはその逆であるところは大きい。満たされない器、壊すことで書いていく。書くことによって壊す。破滅して破滅して破滅してそれでも満たされない器に何かをそぎこんでいく男治。女たちは治の満たされない器に注ぎ込むことによって満たされていく。男と女の反比例。

 この作品見ていくと関わった人間と関係を自ら壊してズタボロにしていっているからなぁ。男女関係なく。だからこその人間失格。この作品の太宰治を表現するのはこの4文字しかないのだろう。

文豪たちのこの手のエピソードはめちゃくちゃあるから太宰治だけでなくとも映像化することは容易にできてしまいそうだ。いろいろとみてみたい。
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