映画 ドラゴンクエスト ユア・ストーリー 感想!

君の記憶勇者の記憶

ゲマ様「私が、光の、お父さんですよぉ~」

 エオルゼアで無駄にピョンピョンしていたら空中浮遊をすることに成功したらしい。ということでゲマ様のゲマ様によるゲマ様のためのドラゴンクエスト「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」です。このクオリティで和製RPGが出来る時代はあと何年ほど待てばいいのだろうか?生きている内に実体験としてやっておきたい。そして来世にその記憶持ち帰ってもう一度新鮮な気持ちでプレイするんや。

 シリーズとしては初めてその名の冠を持ったCG映画作品となっている。アニメとしてはダイの大冒険・アベルの伝説・ロトの紋章の以来のアニメーション作品にはなるか。といってもドラクエでアニメ化されていると言えるのがアベルとダイとロト3つしかなかったけれども、シリーズの遍歴としてはもっとやっていても不思議ではないはず。

 ドラクエⅤを原作・原案としたストーリー展開がなされている作品ではあるが、それこそ映画の尺に合わせる為に幼少時代や細かいイベントごとをスキップしまくっていたりと物語の展開としてはめちゃくちゃ早い。余韻も何もないくらいに早い。それこそ親子3世代の物語を~と言いつつパパスに関する要素オミットしまくってどうするというのだ!親子三世代に及ぶ物語に対する要素うすくなっているやないか!

 でもその展開の速さも地味に伏線として使われている訳ではあるけれども、きっちりした伏線かどうかと問われれば機能としてはしていない部分も感じられるかな?三世代といったがゆえのところと少年時代は描ききれないというところとその壮大なジレンマがこの作品には最初から最後まで息づいているといってもいい作品になっていると思う。それこそねじれ議会というかそんなねじれ方をしている作品ではあるのだ。

 それこそ少年時代がスキップされているというのは伏線に使えても、この作品に対する落ち自体に対する伏線が少ないというのはこの作品にネックの一つになっているのではないのだろうか?それこそ言えるとしてもフローラが主人公健くんに深層心理見せるために一服盛った後の精神世界・深層心理世界ぐらいなもんだと思う。

 あとラスボスがラストのバグウィルスくんがわしはミルドラースではないと高らかに宣言しているのに対してエンディングクレジットは思いっきりミルドラース扱いしているのはいいのか?本人否定済みなのになんてエンディングクレジットは本人扱いしているのか?どう考えても違和感がしてくるでしょうが。

 そういった映画のために調節した要素が悪い方向に作品を動かしていた感じられてしまったところ。細かいところが少しでも気になってしまえばそれこそありとあらゆるところの細かいところが気になってくる作りになっていたと思う。
 ルドマンの衣装がすけすけでなんかおかしい。明らかにルドマンの家がでかすぎる。 キラーパンサーとスライムしかいないのに決戦までいける。決して老けないサンチョ。ゲマ様はもうちょっとデカかったように思えるのだが?グランバニアが完全無視。
 とってつけられたドラゴンオーブ感。とか スラリンっていう人間に対する伏線。

 VRオチを使うならばドラゴンクエスト出会ってもⅤである必要性は必要なかったはずである。やるならばそれこそオリジナルストーリーのドラゴンクエストでよかったはずだ。そちらの方が大胆な物語構成にすることも原作を気にしてしまうこともなかったはずだしよりやりやすい環境が出来たはずではある。
 
 ドラゴンクエストⅤを名乗るのであれば必ず3人の名前が必要である。人間のキャラクターデザインを世界で売るために変えたと言うなればモンスターは原案のままそれならキャラクターデザイン原案としてクレジットされなければならない人がいる。そこから原作やそれこそゲームというものに対して不誠実な作品になっているといえるだろう。

 アニメ・漫画・ゲームという文化が成熟する中で、あまりに映画との関係性が対等ではなかった作品であると思えるところだ。大人になる前に子供だった時代を忘れてしまった作品。大人になったことが当たり前で大人がただ単純に偉いと思っている勘違いしている作品だ。
 この原作と映像化先の関係性がいびつであり対等ではないのはあまりにも前時代にすら無かった関係性であるとそれが出てきただけにこの作品はただの逆オーパーツになってしまった作品であると言える。

 あまりにも各要素に対する作りが甘すぎた。故に朽ちることなく偶然にも残ってしまったと言えるだろう。
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