映画 GODZILLA 星を喰う者 感想!

終焉のその先へ

これが「愛」か!

 有限なる無限。繁栄が無限に続くことはなくそこには崩壊という名の有限の終着点が待っている。有限のその先に神が待っているのだとしたら人は神になることはなくこの姿ある限り崩壊という枷を背負わなければならない。ゆえに黄金の神は愛という名の皮を被った似て非なるものでしかない。神になることができない人間が有限を超えて無限になろうとしたがゆえに背負った罰。黄金の姿をした愛無き存在こそがまさしくその罰なのである。

 ということで三部作の最終章である。「映画 GODZILLA 星を喰う者」日本産のアニメーションゴジラとして最初になった本作もついにラスト。平成ゴジラとしても最後を飾る作品となりました。アニメゴジラだからこそできることをそしてアニメゴジラだからこその帰結とでも言いましょうがそのゴジラという遺伝子が生き続けている側面とゴジラという遺伝子がどのようにアニメとなって変化したのかというところを出した作品であると感じられるところだ。 新たな暦のゴジラのスタートがゴジラ キング・オブ・モンスターズというのもなんだかうれしいような悲しいような。特撮で始まってほしかったという思いもあるが強いが。

 作中でも触れられていたが、怪獣惑星は地球人類による知略と戦略が展開され、増殖都市ではビルサルドの技術と武装が展開された。本作品である星を喰う者においてはエクシフの信仰と精神の展開がされている作品である。つまりはこの三角形をもってして人類が攻撃として扱えるすべてを使ってゴジラという存在に立ち向かったというところは言えると同時に各人型生物の使える部分がどんどん使えなくなるというそぎ落としにもつながっている部分ではあると思う。全体を通して人型生物が怪獣であるということの理由付けが全体を通して行われたように感じられるところ。

 エクシフというかメトフィエスの一人X星人感はこの作品で頂点に達しているように思える。それこそX星人らしく言葉巧みに人々を人型生物たちを導いていくその様子はまさしくX星人。自らの欲望と行動のためには愛すら偽り自分すら捨てることのできるその行動力というか人間性はまさしく人の姿をした怪獣であるといえるだろう。
 メトフィエスの最大の敗因は、ハルオに固執したことだろう。ハルオをすべての中心に据えて本来は自分自身ではなくハルオを媒介としてギドラを召喚しようとしていたわけでもあるし、彼は人型生物ではなく人の姿をした怪獣であったがためにハルオを彼の人間性を愛情を思いをそして愛そのものを見誤ったといえる。
 もしもハルオという人間を見誤ることがなかったらメトフィエスが人型生物であったとしたならば、メトフィエスが望む結末も見えていたかもしれない。ハルオは見えていたけれども周りは見えていないという点においては早いも遅いもなかったかもしれないが、せめてビルサルド側も丸め込めていたならば…。
 本編三部作におけるメトフィエスの心の声を実体化させたら確実にめちゃめちゃ高笑いしているシーンを何度か拝めそうだなぁ…。

 本作品の予告で示唆されていたことではあるが、ハルオが子種を残すというのは予告通りだったように思う。まさか相手がミアナではなくマイナだったのは驚いたけれども。あれだけミアナがハルオのこと気になる好き好きと表現していたのにも関わらずマイナだったとはぁと思えて仕方ない。それだけ自分自身の命を救い出してくれた存在というものは大きいのであると感じられるところではある。 
 予告というか予想通りだったのはアラトラム号の行方だろう。2勝目からフラグ立てていたことだけのことはあるし3章予告にて墜ちまーす!って言っているようなものではあったからなぁ。

 ギドラがついに登場。本編ではほぼ首だけゴジラに首ったけな存在だった。でも別次元の存在のギドラというギドラ族としても高次元の存在だったように思う。たぶんカイザーギドラよりも強い存在だったのではないのだろうかと思える。(カイザーはモンスターXの時のほうが戦いやすかったのでは説もあるが)ゴジラアースをあそこまで追い詰めることができた存在だし、ちゃんと単独で頑張れたら勝てたのではないのだろうかと思えるところではある。絶対的に人型生物では勝つことのできない存在であったことは確かだしなぁ。
 
 ゴジラという概念はなかなか打ち崩せないが他の怪獣たちに関して言えば基本概念ぶち壊していたように思える。メカゴジラシティとか首だけで登場するギドラとか絶対想像できないものだからなぁ。基本概念との戦いそれは無茶苦茶でもありやらなくてはならないことでもあり…。

 人間であるがゆえに人間だからこそ怪獣になることのない人類という選択をしたハルオ。それは地球という打ち捨てられた地に静かに暮らしてきたフツア族にとって最良の選択だったのだろうか?それはそれこそ最後のミアナの姿と顔こそがすべてを物語っているといえるところではあるのだろうと思う。

 すべてを包括するゴジラという存在人が再びゴジラに挑むという選択肢を得ることがない限り罰というギドラが現れることはない。ハルオはある種最後に復讐や憎悪ではなく愛を向けたといえるだろう。

 ゴジラシリーズとしては異質かもしれない。けれどもそれを言っていたらそれこそシリーズすべてがシリーズとして異質になってしまうようにも思う。ゴリラと2回も戦ったり魚喰う奴やつとか人間同士のマトリックスやるやつとか災害対策マニュアルをやるやつとかイヤミとか空飛んだりとかあったわけでフィギアでシリーズやっていたこともあるからゴジラの可能性と器というのデカいんですよ。それをちいさくしてしまってはいけない。
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