映画 プーと大人になった僕 感想!

なにもしない

疲れた社会に住まう現代人に

 『クマのプーさん』と『くまのプーさん』を原作とする実写映画「映画 プーと大人になった僕」見に行ってきました。クマとくまが混合しているのは利権的な問題も含んでいるから。だからこそどちらかといえばクマ+クマのつかわない作品タイトルになったのだろうと感じられるところ。

 大人になったクリストファーロビンと100エーカーの仲間たちが織り成す再会物語。大人になって社畜として社会の歯車になってしまったクリストファーロビンの元に現れた救世主を描く子供のころの思い出を取り戻す物語ではある。でもこの作品のクリストファーロビンって9時には家に変えることは出来ているよなぁ。子供のマデリーンも十分に起きている時間帯には帰ってきている訳だし、それって社畜と言うか社会の歯車となってしまったことに対して悩んでいるだけのような感じもするところ。仕事第一だったのは確かだけれども社畜として表現するというよりは突かれてしまった社会人ではあると思う。

 大人になって変な理屈をこねくり始めて社会の歯車になってしまった子供たちに贈る物語りがこの作品だと思う。 プーたちがほとんど何も考えることなく行き当たりばったり感で行動しているけれどもS路絵は純粋的に子供時代そのものとして表現されているようにも感じられるところではあるかな。

 何も考えることなく今この時を遊ぶ。それだけでも人間に必要な休息と言うものが出ていると思うし、ある種現代だからこそこの要素プーたちの身軽さに心が癒されるというだけではなくて作中の高度経済成長期でも未来だってこの作品は心を癒し続けることになるのだろうと感じられるところではある。

 この作品の100エーカーの住人達は全て人形で表現されているからどことなく人形感もありつつ毛並みはとても自然だった。生命を与えられたというよりも幻想には近いのかもしれないけれどもまるでクリストファーロビンを救い出す為だけに力を借りてクリストファーロビンの前に現れたかのようではあったかな。

 WW2からそれほど作中時間は経過していないわけではあるけれども、社会構図としては現代とあまり変わっていないんだよなぁ。ある種そこから社会構図と言うものは停滞しているともいえるのか?

 心に乗っかっているものがラストで綺麗になくなって羽を得たかのようなすっきり感を与えられる作品ではあったと思う。その身軽さ最終的なものではあるがそれこそが本作にとっての一番重要な部分ではないのだろうか?
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