劇場版<実写ドラマ版> 打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか? 感想!

それは変わったようで変わらない世界

岩井俊二監督のテレビドラマ作品の劇場版

 劇場版アニメの前に原点である実写ドラマ版の方を見ておきたくて。Huluで配信s慣れていたのでそちらの方で見ました。ドラマ版ではなく再編集された劇場版ではありますが。 約47分ほどの劇場版でありドラマ版は「If もしも」のドラマシリーズ一篇として生まれた作品である。

 ドラマ版誕生から14年、劇場版からは12年ほど経過しており時代背景的に言えば時代を感じさせるものになっている訳ではあるけれどもそれがノスタルジックにも感じられるところ。思い返す場あの時という語り口で物語が展開されていても不可思議ではないわけではあってそれが持ち味にもなっているように感じる。

 「ifもしも」のドラマシリーズの物語に沿っているからこの作品は2つの結末が存在する。 なずなと祐介の物語となずなと典道の物語である。 たった1日の物語、たった一つの分岐点から生まれる違う結末。でも祐介と典道が主役ですべてをコントロールしているというよりはそれこそなずなの物語りであったように感じられるところ。

 なずなと祐介の物語ではなずなは強制的に母親に別の町へと連れ去れててしまう。なずなが思い描いたものはそれこそ祐介によって打ち砕かれてしまう。なずなよりも祐介が振り回しているともいえる。 裕介がその真実を知るのは2学期になってからであるわけで、祐介にとってなずなとの2人きりの駆け落ちは恥ずかしいものでもあり好きだけれどもそれを隠したい思いがあるのは確かだろう。 祐介がそれをしなかっただけでも世界は大きく変わっていた。

 なずなと典道の物語はどちらかといえば典道が振り回されている。駆け落ちデートは成功するけれども電車に乗ることなくデートは終わりを迎えてなずなとはプールで秘密の時間を過ごす。打ち上げ花火の真実を知ることが出来るのはこの世界の典道だけではあるが典道にとってなずなとの秘密の時間は何になったのだろうか? 祐介も含めて自分自身の気持ちがはっきりとすることこそがこの世界ともいえるのかな?

 なずなはやっぱり謎めいている。母親から逃げたかったというのは確かだろうけれども。途中でなずなが駆け落ちをやめたのはどうしてだろう?駅になずな母がいたのかもしれない。時間が過ぎればよかっただけなのかもしれない。なずなが好きなのは典道なのかそれとも祐介なのかはっきりしていないというところもあるから後者でありつつ相手は誰でもよかったともいえる。

 実はなずなこそ「IF」の2つの世界の体感した人物であり観測者であるともいえると思う。プールで服のまま入ったなずなが濡れた姿はすごくスクミズでした。それがとても世界が切り替わった瞬間でもあるように感じられた。あの瞬間なずながなずなではなくなってなずなになったとも思えた。別の世界のなずながやってきたようにも帰って行ったようにも思える。

 祐介の世界と典道の世界。どちらが本当の世界であるなんて答えはなくてなずながこの2つの世界を作ったかもしれないし第三の世界がそこには存在するかもしれない。

 ドラマシリーズとしてのプロットもそこには存在するからこそ劇場版単体としては分かりずらい側面もあり考察というか世界そのものが委ねられているようにも感じられるところだ。

 不完全で完全だからこそ人は惹きつけられていく。その不完全な完全に答えなんてない。このもしもをみて・・もしもだからこそ生まれた答えのない答えを持つ作品であったかな。
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