映画 皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ 感想!

そしてキミはヒーローとなる

鋼鉄のジークから生まれたイタリア映画

 ということで「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ-Lo chiamavano Jeeg Robot-」見に行ってきました。永井豪先生原作の鋼鉄のジークのリメイクでもイタリア版でもなくそれをモチーフとした作品であり原作である「鋼鉄のジーク」は原点であるアニメーションが出てくるだけとなっている。けれどもこの作品が生まれたのはジークあってこそだと思うしイタリアにおけるジークの人気の高さを証明するものとなっていると感じられるところだ。 イタリアだけではなくフランスとかからもこういった作品が続々と生まれてきても不思議ではないけれどもあまり見かけないなぁ。更なる大本である日本でも見かけないに等しい。

 なsぞの力を手に入れた主人公が正義の力を行使していく作品かと思いきや、最初主人公たるエンツォは最初小悪党なんでしょね。てっきり最初から最後まで正義の人間とばかり思っていたからちょっと驚いたところ。そんなVが甲鉄のジークのファンの女性に出会い変わっていくそれが物語の基本骨子になっている。

 謎の超人力を手に入れてもやることが小悪党なんだけれども少しづつ人間性が変わっていく様はこの作品で大切にたされている要素の一つであると思う。人との交流をあまりしなかったエンツォがアレッシアと出会うことによって変化していく。アレッシアとエンツォはお互いの関係性が近かったからこそ影響し合いエンツォは変わることが出来たのだ感じたところ。もしもこれがおお互いに大きく誓う立場に居たら変わることはなかっただろうと思う。

 最初はその力は悪い方向へと使うエンツォではあるがアレッシアとの別れから力を人々の為に使うことを決めるわけではあるが。ラストシーンに語られるように彼がジークになったとしても過去に悪いことをやっていたことは変わらないわけではあるし、本当の意味でエンツォは正義のヒーローであるのかただの悪党であるのか。それを決めるのは人々に委ねられているように感じる。
 だから正義か悪かというのはすごく考えさせられるところ。正義のようにも悪のようにもちゃんと見えるのだから。それを考えると個人的には悪的な要素の方が強く出ているようにも感じるところ。

 エンツォもラスボスであるジンガロも同じ方法で超人的パワーを得るというのもなんだか不思議。あそこに落ちた人間がドンドン超人になっていってしまいそうな雰囲気もするけれどもそれはどうなるのだろうか?

 ジーク要素はあるけれどもジークを知らなくても楽しめる要素もしっかりとある作品ではあった。アクション要素というよりは一人の男の変化を見る作品ではあると思うので会う合わないという意味ではその好みの差は激しくであるだろうと感じる作品ではあるかなと思う。
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