映画 聲の形 感想!

それでも人は“生きること”に不器用で

だからこそ人は答えを探し続ける

 ということで「映画 聲の形」見に行ってきました。京アニにとって4大出版社(小学館・集英社・講談社・秋田書店)からの作品をアニメ化するというのは初。いままで角川と手を組んでいたこともにも起因しているのでしょうし、マガジン・ジャンプ・サンデー・チャンピオンという4大週刊少年誌未経験が劇場版とはいえ大手レーベルからアニメをすることになった起因って一体なんだろうか?

 本作品はいじめや障害など繊細な問題を取り扱った作品であり物語の展開も明るい苦は決してなく重め。今までの京都アニメーション作品からするとかなり異質な作品として定義されるように感じる。新境地として切り開くことになったのかそれ以外の意味合いがそこには存在するのかというのは不鮮明なところではあるのだが。

 本作は音楽を多用している。ここ最近の作品としては目地らしく感じるぐらいにずっと音楽BGMが鳴らされているように思う。他のチームがこの作品を作ったら無音でリアル感・没入感を演出とかなってしまいそうではあるのだが、音楽の力を利用して大きく物語を押し出している印象だ。 逆に言えば音楽の力に頼っているつまりは押し出してもらっている所も感じられるのは残念ではある。手と手を繋いで一緒に歩き出す感じは欲しかったかなと思うところだ。

 物語としては連載版の文化祭までが描かれる。個人的には最初は読み切り版で行くのかと思いきや連載版であった。長めの上映時間の中に詰め込めるだけ詰め込んだように感じるところではある。個人的にはここまで来たら原作のラストまできっちり入れ込んでほしかったなかなと。(本作品は129分ではあるがハルヒみたいに160分ぐらいにして)

 今回手の描写に力を入れているのかなと思っていたがやはり足(太もも辺り)の描写は手よりも重点的に印象に残るようにされていたと思う。どんだけ足描写太もも描写好きなんだろう監督。

 文化祭で終わっていることによって物語そのもの意味合いが違って感じられると思うし、それこそ主題歌の歌がいや「恋」なんてしてねーだろ的に感じられるところではあったりするわけで、この終わり方にするならば主題歌はもっと別の形になるべきだったように思う。(宣伝の時点で恋愛ものっぽいのを押し出していたのは何だったんだろうな。作品的にも物足りなさを感じるというかもっともう少し吐き出さなければならないものを吐き出していないようには感じられてしまったかなと。 そう将也の物語でもあるけれどもこの作品は硝子の物語でもあるわけで将也の成長と変化がラストシーンの来るだけでは少し違うように感じられる。

 それでも改変・省略部分は多々あるけれども、将也と硝子へのアプローチは十分そして丁寧にやれていたように思う。周りへのアプローチも最低限ながら上手く絡ませていたように感じるし硝子と将也の変化と成長だけではなくてその周りにいる者たちへの変化と成長も出せていたように思う。それでこそ小学生編からの周辺人物は最低限のことを出せてはいたように思うところ。

 ただ小学生編時代のことをどう思うのかによってそれぞれの高校生編尚且つラストへの印象は変わってくるように思う。ぞれぞれの行動をどのように感じるのかそれを踏まえて高校生時代の時の行動をどう思うのか、そしてラストに対するぞれぞれの変化をどう感じるのか。それによって人によってはどうしても受けキレない人物が出てくるだろうし許容できない部分もあると思う。でも個人的に一番ひどくて主たる原因を作り上げた一人であるのは小学生の時の担任だと思うけれども。

 確かに登場人物の暗黒面やトゲばかり突き刺さってくるかのような作品でもあるがそれとは逆方向のベクトルもちゃんとある。結絃・友宏や美也子の存在はこの作品にとっての両親的な意味合いとして強く押し出されているように感じる。いわば世界には厳しさがあるように優しさも存在することを示しているかのようだ。問題的な人物が多い中でこそこのやさしさは時に救いとなり時に更なる棘となっていると思う。

 将也の成長物語としてうつむいて他者の顔を見ることが出来なくなった将也がそれを克服するまでのものがt理としては上手く一つの作品としてまとめられているように思う。しかしながら作品のテーマとしての部分は少々足りない感じ。喉まで差し掛かっているにもかかわらずそこを吐き出すに至らなかったのは上手くまとめている部分も多いだけに残念なところではあった。
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