映画 planetarian ~星の人~ 感想!

空を見上げて、星に手をかざして

それは人の営み言葉の営み星の営み

 ということで「映画 planetarian ~星の人~」見に行ってきました。配信限定で展開された作品である~ちいさなほしのゆめ~の後日談エピソードにあたる作品であり「planetarian」の物語を総括する集大成的な作品となっています。内容的に言えば~ちいさなほしのゆめ~+αの形が取られている作品ではあるので配信版を見ていなくとも楽しめる仕様にはなっているように思う。

 ちいさなほしのゆめの部分が7割で星の人の部分が残り3割の構成にはなっているかな?それでも配信版のちいさなほしのゆめからすると劇場版で回想されるちいさなほしのゆめの部分はところどころカットされておりよりコンパクトにちいさなほしのゆめの物語が展開される形になっている。
 初見にもきっちり分かるように配信版からの取捨選択はかなりきっちりされておりこれだけでも十分にちいさなほしのゆめの
堪能することが出来るようになっている。

 ちいさなほしのゆめの部分は削られるかそのまま入れ込まれるかのどちらかだと思っていたからこういったきっちりした形で入れ込まれるのというのはちょっと意外だったかな。個人的には星の人の部分だけでやってもよかったとも思うところもあるが全体を見通すとアニメとしては入れてこそより輝く形になっていたと思う。

 星の人つまりは屑屋の物語が描かれる最終章。ここまで通してこそ一つのplanetarianとしての物語りが紡がれて尚且つ続いていく。ゆめみと出会ってから彼が目指したものその行為自体が報われる。そして彼がしてきたことが次代に繋がれていくことによって行為が意味を成して星を失ったこの世界に新たな希望を灯す。終わりを迎えつつあるこの世界において彼が幸せであったことが明かされる物語でもあると思う。

 星の人となった屑屋がとある集落での3人の子供たちに出会い星を見せ希望を紡いでいく。ゆめみによって星の力に引き寄せられた星屋がまた3人の子供たちにその力を引き継がせていく。それはかつて自分がされたことをしてゆめみの意思を引き継いでいっているかのようだ。子供たちが大きくなってちゃんと星の人になった時に星は彼らにどんな表情を見せてくれるのだろうか?

 女神さまとしてまつられていた自動人形。ゆめみの新しい職場とはならなかった訳だけれども星屋の元に最後にやってきたのは「キセキ」だったのかそれとも偶然だったのか。その答えは知る由もないわけではあるが星屋の今までを紡ぐとその答えはおのずと導き出せるかもしれない。

 星の営みが変わらない様に人の営みも変わらない。星屋が積ぎだしてきたことは寄り世界へと広がっていくことになる。星屋の物語としてまたplanetarianとしてこの作品は一本の筋を紡ぎ出すことが出来たと思うしアニメ的にも上手く表現されていた作品であると思う。

 まだシリーズとしてはアニメとしてつむぎだされていないエピソードもあるけれどもいつかそのエピソードをアニメとして見ることは出来るのだろうか?
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