マギー -MAGGIE- 感想!

最後まで人として

腐歩病

 アメリカでは14年に公開された映画「マギー -MAGGIE-」がこのほど日本上陸ということで見に行ってきました。シュワちゃん主演のゾンビものではあるけれども、アクション主体の作品ではなく心理描写主体の作品となっているのが本作の特徴的な部分であり、放たれる弾丸も1発のみという家族の物語としてのゾンビものになっている。

 2年ごしの日本上陸はなぜ今?という感じではあるけれどもその辺りは複雑な事情とやらが混在している部分もあるのでしょうね。そこに答えを見出すことは外からでは決してできないことであると思う。かねがねフィルムやデータではないBDによる上映があるとの話を聞いていたが実際に出会ったのがこの作品だった。上映終了後思いっきりXMBが登場したからなぁ。さすがに笑ってしまった。

 ゾンビものというよりはゾンビを病としてパンデミックさせている感じかな。ゾンビとは設定が似ているようで離れている部分もありゾンビものというよりはパンデミックものとしての側面が大きいように感じるところではある。 「腐歩病」はこの作品のゾンビに対する日本語字幕ではあるがこの訳し方は本作品のゾンビを的確に表しているように感じられて個人的になんだか作品を含めて新たな見方を提示しているように感じられたところではある。

 アメリカの片田舎が舞台となっているからか登場するゾンビも非常に少ない。それこそ10人もいかないというゾンビなのにゾンビものとしての定義をアメリカ発の作品としては変えているように感じられた。家族の物語という部分も強いが娘と父親の物語というのが一番この作品を表しているだろうと。

 ゾンビに噛まれてゾンビ「腐歩病」となってしまった娘(マギー)とその娘を見守る父親(ウェイド)の物語。どんどんゾンビへと病状が進行している娘に対しての父親の葛藤。 それは娘を守る父親の愛なのかそれとも自分自身の心の隙間を埋めたいという我儘な欲望なのかどちらでもとることが出来る作品になっているように思うところ。

 父親はそれこそ娘に対する行動だけはほぼ完全に何もしていないと言っても過言ではなかった。隔離施設へと送ることもなく、苦痛を与える薬によって人として保たせる訳でもなく、楽にさせるわけでもなく、その行動に対しての決意を最後までできなかった。それははたして愛と呼べるのだろうか?最後に人として死なせることを決意したっぽいけれども…。 

 父親としての気持ちとしては非常に複雑な胸中へと足を踏み入れているからこその思いではあるが答えを完全な形で出そうとするとほんと難しい。 そこに至る道を得るための父親へのアンサーになっている描写は少なかったと思うところでもあるのであえてこの形にはしているんだろうなとは思う。

 娘の方が父親への愛情を的確に示したんじゃないかなとは思う。父親に人として殺してもらうのではなく自ら命を絶つことによっての人としての人生を終える。父親にも家族にも迷惑をかけない去り方。自我を失う直前でこの判断をしたこそこそが娘からの最大の家族愛だったのではないのだろうかと…。 自らの死をもって周りの幸せを生む。最後の親孝行としての描き方だったようにも感じるところだ。

 約90分の作品ではあるけれども実際合切体感時間としてはそれ以上に感じたところではある。2時間作品くらいには感じられたかなと。この作品はさまざまな考え方というかこの作品の示したものについていろいろと答えを出すことができるようになっていると思う。人間が簡単に判断することが出来ない家族への愛情が押し出ているからこっそこういったことになると感じるところではあるかな。本当に静かな湖畔の影のような作品でずっと雨が降りそうな暗い雲が漂っているかのような作品ではあると感じるところでありそれを見て怖いと思うのではなくどうしていくのかが求められる作品であったと感じる。
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