劇場版 selector destructed WIXOSS 感想!

私の名前と存在意義

destructed=破壊

 「infected」=「感染」 「spread」=「拡大」ときて 「destructed」=「破壊」 の3つ目の名を持つselector×WIXOSSシリーズ3作品「劇場版 selector destructed WIXOSS」を見に行ってきました。大人向けTCGシリーズとしてTVシリーズと同発で世に産声を上げた作品でありこの3つ目の劇場版はTVシリーズの総集編かつ+αの作品となっている。

 公式の微妙なニュアンスの通りに主だった部分としては9割が総集編の作品である。個人的には+α部分は少ないように感じる。個人的にはそれこそ完全新作という形でこの作品を見てみたかったという思いは非常に強いわけではありますが、公開時には佐藤監督が「少女たちは荒野を目指す」の監督を、脚本の岡田さんは「オルフェンズ」「迷家」「キズナイーバー」の構成脚本。本作品では副監督の桜美さんは「ふらいんぐうぃっち」の監督を、JCはこの時点の放映予定を含めると4作品前後兼務というお互いの円でなんとか重なる部分を使っての劇場版制作だったと感じるのでこういった形になってしまうのは致し方ないという思いがというか察するに至るしかなかったところではある。

 こんなような状態ではあるので、1つの作品として総集編の作品としてこの作品を見るとどうしても1つに繋がらなくなっているように感じる。丸々総集編だった「infected」の部分にしてもかなり飛ばしている状態にはなっている訳ではありますし構成・脚本を大幅に変更した「spread」の部分に関してもぎりぎりのところではあると感じる。 
 突貫工事というか迷宮のようなそういった形にはなってしまっているかなと感じるところではある。TVシリーズを見ていても飛び飛びで繋がっていないところを強く感じるしそこから補完しなくてはならないようになっている。
 
 だからこそ完全新規として作品を出していってもらえたらなと感じるしだいではあるのだがまあこのあたりは致し方ないのかもしれない。破壊の名前がついているようにこの作品はこれでおしまいという形が取られている。セレクターバトルが蠢く世界はあれでED。あれ以上もあれ以下もない。1・2期で描かれたことが総てであると。このあたりはパンフレットで監督が言っていたのでそれが強く押し出された形になっている。

 新規部分はウリス救済の措置が取られているいわば追加エンドの為の新規部分ではあるかなと思う。新規はウリス関連のものがほとんどでありTVシリーズではあっさり散っていったために救済が取られたのかなと。
 又この追加シーンは劇場版としてのテーマである「名前の物語」としての側面を強めるための部分もある。るう子の過去描写がそれに繋がってくる。 新規部分はそれこそ最初と最後が基本である。だからこそより総集編部分のゆがみは見て取れてしまうのかもしれないところではある。

 この作品の「破壊」にはシリーズのラストという意味だけではなくてウリスの歪みの破壊。セレクターバトルノゆがみを一手に担ってきた存在であるウリスの心を破壊することによってウリスを救済し本当の意味でのラストをつけるという意味合いも大きく入っていると感じるところだ。
 
 それこそウリスの幼馴染である幸が登場することによって彼女をより掘り下げると共に彼女の救済を行っている。幸の存在はウリスが歪んだ一端が判明するより推察できるようになっていると同時にるう子の存在へのアプローチになっている。るう子たちがばーちゃんの家に住むことになった経緯やるう子が母親に見捨てられた経緯などが推察できるようになっている。 ウリスがるう子に執着するようになった意味合いとか・・・。 
 たった一人で2人への新たなアプローチをしているのはある種すごいなと。 幸は今まで足りなかったパズルのピースが新たに埋められたような感じである。まだどこかララに登場していないパズルのピースはあるとは思う。
 1話の冒頭のバトルやるう子の畏怖対象のビルの棒の意味合いとか。このあたりはまだパース的には完全には埋められていないかなと。

 「名前の物語』としての側面。TVシリーズでメインルリグだった花代さん・緑子・ウリスに関しての名前が出てきたり、るう子がどうしてタマにタマと名付けたのかその意味合いが登場したりと。名前に関して言えばTVシリーズよりも強調されてさらに強い見合いが付けられていたように感じるところだ。 
 タマ=タマでるう子自身。つまりは願いを叶えてくれるルリグとは自分自身の事である。何もなかった少女たちが出会ったことによって自分自身がそこのいる意味が生まれる。それによって願いを叶えるための自分自身の行動が生まれると。そこにいる意味が生まれる。名前がそれこそがこの作品の一つの本質であると思う。

 TVシリーズではラスト、ルリグとセレクターたちは出会わなかったが劇場版ではそれぞれ再会している。寄りハッピーエンドとしての側面も強くなったかなと感じるところではある。

 総集編部分=総集編の作品としては迷宮坩堝でありそこから抜け出せない仕様となっているが新規部分としてはこの作品に新たな破壊の一撃を与えてそこから新しい側面を生み出したとは思う。この作品のパズルピースがすべて出そろったわけではないと思うし、まだまだ本編シリーズやスピンオフ・この作品の要素を使っていくらでも世界を広げていくことが出来ると思うだけにこの作品で終わりを迎えるというのは残念に思うところ。
 だが願いという欲望があり続ける限りまたいつか願いを見ることは出来るのではないのだろうか?
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